子供へのしつけを「虐待」と受け取ってしまう心の闇
子供へのしつけを「虐待」と受け取ってしまう心の闇
先日、こんな話しを私の母から聞きました。
母の知人の息子さん夫婦が「2ヶ月前頃から家庭不和があったんだけど、ついこないだ離婚するということに決まったらしい。」と。
その離婚の理由というのが、
その息子さん(夫)が、「子どもを虐待している」ということから別居がはじまり、
結局、奥さんから離婚を切り出されたということでした。
その息子さん(夫)には、何度かお会いしたことがあるのですが、温厚な雰囲気の方だったので、びっくりしましたし、数回あっただけでは分からないこともあるものなんだと思いました。
無論、子どもへの虐待があったのが事実であれば、それは許されることではありませんし、その奥様の選択した道も間違ってるとは思いません。
しかし、その奥様が「虐待」といっているエピソードに疑問符がついてしまう内容だったので、本日のコラムにしました。
最近では、「叱る」という行為を「怒る」と取り違える風潮があるのではないのかなと思っています。
公共の場で「明らかに突出した子どもの言動」があっても、その親は携帯電話(スマートフォン)に夢中になっているのか、迷惑を被っている周囲の人を気にかけることもないばかりか、自分の子どもすら見ていないという光景もまれに見るときがあります。
私は、このような光景に出くわす度に、ある意味、「叱らない」ということは「無関心」とも受け取ってしまうのです。
もちろん、叱る時の程度や暴力ということは問題になりますが、
少なからず、その子どもが社会に出たときのルールを覚えるためにも、注意をするべき時に注意をする。
最低限、良し悪しの区別を教えてあげる。
こういった、「しつけ」がされないということも、虐待とまではいかなくても、その子どもにとって「かわいそうなこと」だなと思ってしまうのです。
また、「叱る」ではなく、極端に「怒る」「怒りまくる」といった親御さんを見かけるときもありますが、「親にいつも怒られていたことで、どんな人とあっていても、いつも怒られるんじゃないかと考えてしまい、自己主張をしない人間になってしまった」ということをつぶやいていた友人もいました。
対象にもよりますが、叱るということは「子ども」のためであって、怒るというのが「自分」のためになっていてはいけないのではないかと思うのです。
道理に沿って叱ることができる、人の迷惑を考えて叱ることができるのが、親だと思うのです。
話しは戻りますが、その奥様は、「子どもへのしつけ」を「虐待」と取り違えているのではと私は考えているのです。
ショッピングモールへいくと、だだをこねたり、座り込む子供はよく見かけます。
そんな時に、「放っておくフリしてついてくるの待つ」とか、「無理矢理にでも手を引っ張ってつれていく」、または、「頭をポンとはたく」という光景を目にしたことがあります。
これらの行為が「虐待」と呼ばれる行為なのかは、家庭でのその他の行為がどういったものなのかを知らなければ、断定することはできないでしょうが、少なくとも「おしりペンペン」程度は、身体的な暴力行為の虐待にはなり得ることはないと思います。
定期的に体罰をしているなら別にせよ、上記のようなことだけを取り上げて、「虐待」と騒ぎ立てても正当な離婚事由とは判断されることはないと思いますが、その息子さん(夫)も、世間体を考えて離婚を決断したようなのです。
一見、このご夫婦の離婚原因は「しつけ・虐待・暴行の問題」だと言っているように聞こえるのですが、実際には「会話が成り立たない夫婦間の問題」であったり、離婚に至る理由は、実はその他にあるようにも思えます。
いずれにせよ、夫婦の離婚問題に巻き込まれた子どもは、その人格形成に大きく関わってくることなので、お子さんのいる夫婦が離婚をする場合は、子どものことも十分に考えて決断してほしいと考える今日この頃です。
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